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福井地方裁判所 昭和28年(ワ)93号 判決

原告 田中勘三郎

被告 中野栄 外二名

主文

被告国は原告にたいし金八万円及びこれにたいする昭和二八年四月一八日から右完済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告の被告国にたいするその余の請求及び被告中野栄、同西沢静にたいする請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告と被告中野栄、同西沢静との間に生じた分は、原告の負担とし、その余の訴訟費用は、これを二分し、各その一を原告及び被告国の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、原告において金三万円の担保を供するときは仮にこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告等は、各自原告にたいし、金五〇万円及びこれにたいする、被告中野、同西沢については昭和二八年四月一七日から、被告国については昭和二八年四月一八日から、右完済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

(一)  昭和二七年六月頃、被告中野は、国家地方警察巡査部長として福井県三国地区警察署砂子坂巡査部長派出所に勤務し、同県坂井郡大安寺村外四ケ村を管轄区域として司法警察員の職務に従事し、被告西沢は、国家地方警察巡査として右警察署大安寺村巡査派出所に勤務し、大安寺村を管轄区域として司法巡査の職務に従事していた。

(二)  原告は、長らく小学校の教職にあり、久しく小学校長を勤めたが、その後教職を離れ、昭和二七年六月頃は六七才の老齢で農業に従事していた。又、原告方は居住字内第一の資産家である。

(三)  原告は、昭和二六年九月二六日、訴外垣内宏から福井県坂井郡大安寺村島山梨子御所垣内三字二二番及び四字三四番の田二筆計九畝二三歩の所有権の譲渡を受けた。しかるに右垣内は、同年の秋、勝手に右の田に麦を播いたのでこれを原告が詰問したところ、悪かつたと謝罪し、右麦を原告方で収獲してくれるようにとのことだつたので、原告は、その肥料を施し、昭和二七年五月二九日に右麦の刈取に着手し、同日、まず右麦のうち七束分だけを刈り取つた。翌三〇日、右垣内が原告方を訪れ右麦だけは刈らしてくれるようにと懇請したので、原告はこれを承諾し、なお右垣内との話合の結果、右麦七束をそのまゝ原告宅に保存することにした。しかるに、右垣内は、不法にも同年六月八日、右麦七束が盗難にかゝつた旨の盗難被害届を被告西沢に提出し、被告中野、同西沢は、その盗難被害届に基き同年六月二六日、前記砂子坂巡査部長派出所において、事件関係者として原告、右垣内及び訴外吉田紀を取り調べ、事件の実情をよく捜査した。したがつて、前述の麦七束の刈取をめぐる事実関係は充分明瞭となり、被告中野、同西沢において、右麦七束の刈取問題は、原告と右垣内との間の、単なる民事上の争であることをよく了解した。

(四)  しかるに、昭和二七年六月三〇日午後三時頃、被告中野、同西沢が福井県大安寺村島山梨子地籍河原四字四番地にある原告の田の前の農道上に来て、右田で働いていた原告を農道上に呼びよせ原告にたいし「盗んだ麦を出せ」といい、原告において「盗んだ麦などない」と答えたところ、突然被告中野は、右足で原告の左膝を蹴りつけて原告を仰向けに倒し、被告西沢は、これに乗じて原告の胸ぐらを掴んで右農道上を引き摺り、さらに被告中野は原告の上半身を、被告西沢は下半身を持つて原告の身体を持ちあげ、原告を四米程運んで農道上に落した。ついで、右被告両名は、右農道より原告宅まで原告を連行したが、その間、附近に聞えるような大声で、「垣内の麦を盗んだのはお前だ。」「糞隠居。」「貴様のようなものはやくざ校長だ。」「泥棒だ、泥棒だ。」との暴言を吐いた。

(五)  被告中野、同西沢は、原告を原告方に連行するや、原告を逮捕する法律上の根拠がないのに、緊急逮捕すると称し、その職権を濫用して原告を不法に逮捕した。すなわち、右被告両名において原告に窃盗容疑のないことをよく承知しており、且つ、仮りにその容疑があると思つていたとしても、原告は原告宅で右被告両名の要求する麦七束を任意に提出したのであるから、緊急逮捕をする必要が全然なかつたのである。しかも右逮捕をなすにあたり、右被告両名は、必要があると認められる場合でないのに原告に手錠を施し、その際、被告中野は、「お前のような男の手や足は一本位折つても構わぬ」と叫んで原告を引張り、そのため原告が敷居につまずいて膝をついたところ、被告中野、同西沢は「さあうしろ手や、うしろ手や」と云いながら、原告にたいしうしろ手に手錠をかけようとして手を捻じあけ、原告の右手首に長さ約一・五糎、深さ約一粍強の全治約五日間を要する切創を、右肩胛関節部に捻挫傷を与えた。

(六)  ついで、右被告両名は、原告を砂子坂巡査部長派出所に引致したが、その際、原告宅を出て島山梨子部落を通行する間、近所に聞えるような大声で、「村人にみせしめるため手錠のまゝ区内を通るのだ」と叫び、原告の姿が見えやすいように原告の着ていたござを取り、亦その顔が見えやすいように原告の被つていた笠を後に引張り下げ、さらに大声で、「こんな泥棒は山にいる者も野にいるものもみんなにみせびらかしてやらねばならん。」「こんなざまを見て貰え。」「よい恥さらし。」「垣内泥棒。」と罵つた。なお、右被告両名において、原告方より原告を連行する際、原告に着衣の着替も履物を履くことも許さなかつたため、原告は、原告方から砂子坂巡査部長派出所まで、雨上りの前記農道上を引き摺られたため破れたシヤツを着、泥まみれの着衣を着け、手首から血の出たまゝの恰好で、しかも洗足のまゝの醜態で右被告両名により連行され、多数の通行人の見世物となり、そのため堪えられない不名誉を蒙つた。

(七)  あまつさえ、窃盗事件によつて原告が逮捕されたことが、福井放送株式会社の「ラジオ福井」で放送され、昭和二七年七月八日付福井新聞に掲載されたため、親戚知人にたいしては勿論、一般社会にたいしても原告は著しい不名誉を蒙つた。

(八)  以上のとおり、原告は、公権力の行使に当る公務員たる被告中野、同西沢の、その職務を行うについての、故意による共同不法行為たる職権濫用行為及び暴行陵虐行為によつて、違法に精神的肉体的苦痛を受けたから、被告国にたいしては国家賠償法の規定により、被告中野、同西沢にたいしては民法の規定により、それぞれ慰藉料を請求することができ、その額は、右不法行為の程度及び原告の社会的地位等に鑑み、金五〇万円を以て相当とする。

よつて、原告は、被告三名にたいし各自金五〇万円の慰藉料及びこれにたいする年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告国指定訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因にたいし、

(一)  は認める。

(二)  のうち、原告が元小学校長を勤めたこと、その後教職を離れ、当時六七才の老齢で農業に従事していたこと、原告方が相当の資産家であることは認めるが、その他の事実は否認する。

(三)  のうち、原告主張の日に原告主張のような盗難被害届が出されたこと、被告西沢が、原告主張の日に砂子坂巡査部長派出所において、原告と訴外垣内宏との間の麦の刈取問題について、原告及び訴外吉田紀を取り調べたことは認めるが、被告中野、同西沢において右麦の刈取問題が単なる民事上の争にすぎないことを了解したとの点は否認する。その他の事実は知らない。

(四)  のうち、原告主張の日に、被告中野、同西沢が、原告主張の農道上まで出向いたこと、右農道上から原告と一緒に原告宅まで赴いたことは認めるがその他の事実は否認する。

(五)  のうち、訴外垣内の麦を原告が盗んだとの被疑事件について、被告中野、同西沢が、原告方で原告を逮捕し、原告に手錠を施したことは認めるがその他の事実は否認する。仮に原告主張のような傷害が生じたとしても、それは原告の抵抗によつて生じたものである。なお、そのことが、たとえ認められないにしても、その傷害の程度は極く軽い。

(六)  のうち、被告中野、同西沢が原告を砂子坂巡査部長派出所まで引致したことは認めるがその他の事実は否認する。

(七)  は否認する。

(八)  は否認する。仮に被告中野、同西沢の行為に多少違法の点があつたとしても慰藉料の額を争う。

と答え、被告国の主張として次のとおり述べた。

(イ)  昭和二七年六月八日、被告西沢の許へ訴外垣内から、同年五月三〇日に右垣内が耕作している福井県坂井郡大安寺村御所垣内所在の一反三歩の麦田から、麦七束分(約二斗)が窃盗されたとの盗難届が提出されたので、被告西沢は、上司である被告中野にその旨を報告し、犯罪の捜査をなしたところ、原告にたいする窃盗容疑が濃厚となつたので被告中野の手を経て正式に三国地区警察署長にその旨を報告し、その指示を仰いだ。同年六月二〇日頃、右署長は被告中野にたいし、右事件を容疑者田中勘三郎(原告)にたいする窃盗被疑事件として任意捜査をするように下命した。そこで被告中野は、被告西沢を指揮して犯罪の捜査に着手し、同月二六日、被告西沢は、砂子坂巡査部長派出所へ原告及び訴外吉田紀を呼び出して取り調べ、なおその外に大安寺村農業委員会委員長川端太平を取り調べた結果、右麦田の所有権者及び占有権者は訴外垣内であることが明らかになつたので、被告中野、同西沢において、原告が窃盗行為をなしたことの確信を得た。翌二七日、被告西沢は、原告方に赴き証拠として麦七束の任意提出を求めたが、原告に拒絶された。

(ロ)  被告中野、同西沢は、更に右麦七束の任意提出を求めるため、同月三〇日午後三時頃、原告方へ赴いたが、原告が野良仕事に出かけていたので、原告のいる大安寺村島山梨子地籍河原四字四番地の田の前の農道まで行き、原告を呼んだところ原告が右農道へ上つて来た。そこで被告中野が「田中さんお邪魔さんやのう。麦のことで話があるのやで家まで来て貰いたいのや」と云つたところ、原告は、興奮して、「忙しいのに何度も来て邪魔くさい、お前らに話しても判るものかい、帰れ」と怒鳴り、被告西沢の胸の辺りをぐいと強く押したので、同被告は二三歩後へよろめき、ぬかるみに足を辷らして尻もちをついた。そのとき被告中野が、「そんなに怒らず冷静に話をしよう」と云つて肩をたゝいてなだめたが、原告が、被告中野が足を蹴つたと称して暴れようとしたので被告中野、同西沢は二人して原告を抱き止めようとした。しかるに原告は、これを振り離して五、六歩前へ駈けだし不自然な恰好で仰向けに倒れ、足を前に投げだして「痛い痛い」と叫びだした。そこで被告中野が「偽の倒れ方をするな」と云つて、被告西沢と二人で原告を起そうとして傍へ寄つたが、原告は、足をばたばたさせて蹴飛ばそうとし、被告西沢が両手で原告の右手を持つて引張つても起きようとしなかつた。そこで被告西沢は左手で原告の右手を持ち右手で原告の胸の辺りを持つて引き、被告中野が原告をその後から抱えるようにして原告を起した。そして、被告中野が「家まで行こう」と云うと原告は歩きだし、右農道から、被告中野が先頭になり、原告、被告西沢の順序で原告宅まで帰つたが、その途中、被告中野が「他人の財物を窃取するのは泥棒だ、刑法に明文がある」と云い、「麦は盗らんぞ」と原告が答え、「盗つた」と被告中野が云い、「証人により明らかだ」と原告が答え、「疑うに足りる充分な理由があるのだ」と被告中野が云い、「生意気いうと馘にしてやる」と原告が云い「校長をしたつてお前等に馘にされるか」と被告中野が答え、原告と被告中野とが互に押問答をした。

(ハ)  原告方で、原告が表小玄関に腰を下したので被告中野が、その前に立ち、「田中さん、麦があるなら出して貰いたい」と云うと、原告は、「そんなもの何で出す必要があるのか」と云つて怒り、被告西沢と共に事情を説いたが頑として聞き入れようとしなかつた。傍から原告の妻タケノが「取つてきた麦を出したらどうか」と云つたが原告は、「お前ら知らんものは黙つておれ」と叱りつけ、被告中野が「麦があるのに出されないのなら緊急逮捕ができるのやが」と云つてその理由を説明したが、原告は、「令状があるのか、令状がなければ逮捕されん」と云つてどうしても麦を提出しようとしなかつた。そこで被告中野は、被害品たる麦を押収し証拠の隠滅を防ぐため止むなく原告を緊急逮捕することにきめ、被告西沢にたいし原告に手錠を施すよう命じ、被告西沢は原告の右手に手錠を掛けた。そのとき原告は、手錠を掛けられたまゝ急に表へ飛び出そうとし、無理矢理に暴れたため、手錠が原告の右手首に少し喰い込んで薄皮がむけ、原告は「痛い、痛い」と大声で叫んだ。原告は手首の傷を気にしているようであり、且つ原告の家族の者が「麦は私が出しますから手錠だけは外して欲しい」と懇願したので、それからすぐに、被告中野は被告西沢に手錠を外してやるよう命じた。ところが、手錠を外された原告は俄に表の方へ逃げだしたので、被告中野、同西沢がこれを追いかけ、表庭植木のところで原告をとり押えたが、原告は暴れ、その勢が余つて俯伏せに倒れた。やがて、原告が暴れなくなつたので、右被告両名は原告を引き起し、その逃亡を防止するため原告の左手に手錠を掛けた。その後、被告中野は、右タケノに麦七束の提出を命じ、同女がこれを提出したのでこれを押収した。

(ニ)  右被告両名が原告を砂子坂巡査部長派出所へ連行する途中、原告は雨も降つていないのに笠とござを身に着けており、歩く度にござが足につかえて歩きにくそうだつたので、被告中野は、原告のござを脱がせ、又、前方がよく見えるように笠を後に引いて笠を仰向き加減にして原告を歩かせた。その際、被告中野は「こんなひどいことをして泥だらけにされた、どつちが良いか悪いか、これをみんなに見て貰らえ」と云つた。右派出所において被告中野は、原告の取調をしようとしたが、原告において黙否権を行使したので取調ができず、夜も更け、原告が老人のことでもあり、且つ証拠品の押収もできたので、上司の指示を受けて原告を釈放し、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をした。

(ホ)  以上のとおり、被告中野、同西沢において、原告にたいし暴行陵虐を加えた事実はなく、且つ、その職権を濫用して違法に原告を逮捕した事実もない。すなわち、原告が初めから右被告両名にたいし罵言雑言を浴びせるので、つい売言葉に買言葉で右被告等においても、多少荒い言葉でこれに応酬したにすぎず、又、右被告両名が原告を緊急逮捕したのは、原告が窃盗を犯したことを疑うに足りる充分な理由があり、且つ、原告を直ちに逮捕しなければ、原告が刈取麦七束を隠匿その他の処分をすることによつて、その罪証を隠滅する虞があり、そのうえ原告が逃亡しようとしたため、裁判官に逮捕状を求める余裕がなかつたからであつて、その緊急逮捕行為は適法である。

(ヘ)  仮りに、被告中野、同西沢の行為に違法の点があつたとしても、その程度は原告の主張する程のものではなく且つ原告にはもともと社会的信望がなく、したがつて失うべき信用や名誉が殆んどなかつたのであるから、原告にたいする金五〇万円の慰藉料は高きに失する。

被告中野、同西沢訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因にたいし、

(一)  は認める。

(二)  のうち、原告が元小学校長であつたことは認めるが、その他の事実は否認する。

(三)  のうち、訴外垣内宏の播いた麦七束を原告が刈り取つたことは認めるが、その他の事実は否認する。

(四)  は否認する。

(五)  のうち、被告中野、同西沢が原告を逮捕し手錠を掛けたことは認めるが、その他の事実は否認する。

(六)(七)(八) はいずれも否認する。

と答え、被告中野、同西沢の主張として次のとおり述べた。

被告中野、同西沢は、原告にたいし暴行陵虐を加えたることなく、且つ、右被告両名のなした原告にたいする逮捕行為は、所謂緊急逮捕行為であつて適法なものである。

仮に被告中野、同西沢の行為に違法の点があつたとしても、その行為は、右被告両名が、その職務を行うについてなした行為であるから、原告において、被告中野、同西沢にたいし、直接慰藉料を請求することは許されない。

〈立証省略〉

理由

一、先づ原告の被告中野、同西沢にたいする請求について判断する。

原告が、本訴において、被告中野、同西沢が、警察官という地位にあり、原告にたいする刑事事件の捜査を行うについて、原告に暴行陵虐等を加え原告に損害を蒙らせたこと、これを国家賠償法第一条第一項に規定する場合に該るとして、被告国にたいし、国家賠償法による損害賠償の請求を為すと同時に、被告中野、同西沢にたいし不法行為上の責があるとして損害賠償を求めていることは、原告の本訴における主張自体によつて明白である。思うに、国家賠償制度が、不法行為制度の一環であると考えられるかぎり、それは国の行為とみらるべき作用より生じた損害の填補ということを第一義的な目的とすべきであると考えられ、国家賠償法第一条によると、同条に規定した公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは財政力ある国又は公共団体が賠償の責任を負うのであるから、その場合において、さらに公務員個人の直接の賠償責任を認めることは、被害者にその報復感情を満足させる以外に何の実益もなく、亦、既に民刑両責任の分化しているわが法律制度の下において、報復感情の満足のみを不法行為制度の中で認めていくことはその根拠に乏しいといわねばならないから、国家賠償法第一条に該当する場合は、公務員個人は不法行為による損害賠償の責任を負わないものと解するのが相当である。本件において、被告中野、同西沢が、警察官たる地位にあることは当事者間に争がなく、右被告両名が、その職務を行うにつき、原告にたいし暴行、侮辱的言動等を加えたことは、後記原告の被告国にたいする請求について判断するとおりであり、本件においては、原告、被告中野、同西沢間においても右判断と同様に判断できるから、原告の本訴請求中、被告中野、同西沢にたいする請求は理由がなく失当として棄却すべきものである。

二、次に原告の被告国にたいする請求について判断する。

昭和二七年六月頃、被告中野が国家地方警察福井県三国地区警察署砂子坂巡査部長派出所に勤務する巡査部長であり、被告西沢が同警察署大安寺村巡査派出所に勤務する巡査であつて、ともに原告の肩書住居地を管轄区域としてそれぞれその職務に従事していたこと、原告が元小学校長をしており、その後教職を離れて農業に従事し、昭和二七年六月頃六七才であつたことは当事者間に争がない。

成立に争のない甲第二号証の一、三ないし七、甲第四号証の二、(後記措信しない部分を除く)、甲第五号証の一、三ないし五、甲第六号証の一、二、四、五、甲第七号証の一ないし四、六、七(甲第七号証の四の中後記措信しない部分を除く)、甲第九号証の四、丙第一号証の一ないし六、丙第三、第四号証の各一、二(後記措信しない部分を除く)、丙第八号証、丙第九号証の一、二、証人千葉清の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の一〇、前掲甲第六号証の二によつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の一一、原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第一五号証の四、証人垣内宏、田中清俊、片川繁、吉川平俊、末松隆、吉岡義雄、片川正、田中タケノ、田中麗子、片川政雄、千葉清、堂前次義、下本久一の各証言、原告本人及び被告本人西沢、同中野の各供述(右原、被告本人の供述中後記措信しない部分を除く)、検証の結果を綜合すると次のとおり認めることができる。

原告が、昭和二六年九月頃、福井県坂井郡大安寺村島山梨子御所垣内二字一六番地通称牧浜の田約一反歩を、その所有者訴外垣内宏より同年秋水稲刈取後原告の方で耕作してもよいという条件で譲り受けたものと考えていたところ、同年秋右垣内において右田に麦を播いたので、同人の所為を約に反するものであるとし、昭和二七年五月一七日頃同人にたいし「麦の刈取について相談したいから来て欲しい、もし来ないときは原告の方で右麦を刈り取る」旨の葉書を出しておいた。しかるに、右垣内が来なかつたので原告は、原告の方で麦を刈り取ることを右垣内において承諾したものと考え、同年五月二九日右田の麦のうち七束分を刈り取り、これを原告方に留め置いた。同年六月八日右垣内から被告西沢にたいし麦七束が盗難にかかつた旨の盗難被害届が提出され、(同年六月八日、かかる盗難被害届が提出されたことは当事者間に争がない。)被告中野、同西沢は右被害届に基き一応の捜査をなしたところ、原告に窃盗の容疑があると考えるに至つたので、原告を窃盗事件の容疑者として三国地区警察署長に報告し、同署長は、被告中野にたいし右事件につき任意捜査するように命じた。被告中野は、同年六月二六日右事件に関し原告、訴外垣内、訴外吉田紀を前記砂子坂巡査部長派出所で取り調べ、なおその外大安寺村農業委員会書記訴外前田清二及び右委員会委員長訴外川端太平につき事情を聴取した結果、右田について、原告においては訴外垣内より譲り受けたものであると主張し、右垣内においては原告に譲り渡したことがないと抗争して居り、いずれの主張が真実であるか確定できなかつたが、原告の主張する譲受について大安寺村農業委員会の承認を経ていないこと、村当局においても右田の麦は右垣内の所有として供出の対象としていること等が判明したので、仮に原告のいうとおり右田を右垣内より譲り受けたとしてもその譲受は法律上効力がなく、従つて右田の所有権は依然右垣内にあるから、右田の麦を刈り取つた原告の所為は窃盗罪に該ると判断し、被告西沢にたいし原告より前記麦七束の任意提出を受けるよう命じた。被告西沢は右命により翌二七日原告方に赴き、原告にたいし麦七束の提出を求めたが拒絶された。

そこで、同月三〇日午後三時頃、被告中野、同西沢は、更に前記麦七束の任意提出を求めるため、原告方へ赴いたが、原告が大安寺村島山梨子地籍河原四字四番地の田に出ていたので、右田の前の農道まで行き、(同月三〇日、被告中野、同西沢が、農道上まで赴いたことは当事者間に争がない。)原告を右農道上に呼びよせた。被告中野は、原告にたいし「盗んだ麦をだせ」と麦の提出を求めたところ、原告において「盗んだ麦はない、そんなことを云うなら令状を見せて貰いたい」と答えたので、その原告の言動に憤慨し、原告において何ら乱暴な行動にでる気配がないのに「生意気なことをいいさらす」と言つていきなり右足で原告の左膝辺りを蹴つて仰向けに倒した。その機に被告西沢は「こんな奴逮捕してやる」と言いながら原告の胸の辺りを掴んで農道上を引き摺り、その際被告中野は「昔校長をしたと思つて生意気なことをいう、令状がなくても逮捕できる。二一〇条を読め、これから警察へ行くんだ」と言い、その必要がないのに原告の上半身を持ち、下半身を持つた被告西沢とともに原告の身体を持ちあげて右農道上を原告方の方へ二、三米運んだ。ついで、右被告両名が右農道上より原告宅まで原告を連行する間に、被告中野は原告にたいし「泥棒だ、貴様のようなものはやくざ校長だ」、「麦を盗んだどす隠居、垣内の麦を盗んだどす隠居」と大声で怒鳴つた。

原告宅に着くと、被告中野は、麦七束を提出するよう原告に要求し、被告西沢とともに原告から前記麦七束の提出を受け、これを原告宅前の道路端の石垣の上迄運び出したが、右麦七束を窃取したものでないと頑強に主張する原告の態度から考え、原告において罪証を隠滅する虞があるからこれを逮捕する必要があり、しかもその逮捕は急速を要し、予め裁判官の逮捕状を求めることができないから所謂緊急逮捕をしようと決意するに至り、原告方勝手口(小玄関とも呼ぶ)において、同所の縁側に腰をかけていた原告にたいし「さあこれからどす隠居を逮捕してやる。令状を見せよなんて生意気なことをいいさらす、二一〇条を読め」と言つて被告西沢に命じて原告の右手に手錠を掛けさせ(被告中野、同西沢が原告方で原告を逮捕し原告に手錠をかけたことは当事者間に争がない。)原告が抵抗もしないのに、さらに「こんな奴の手足の一本位は折つても構わぬ」と言いながら被告西沢とともに原告を戸外に引きずり出しその際原告が敷居に躓いて戸外に俯伏せに倒れたところ「さあ、うしろ手や、うしろ手や」と言いながら被告西沢とともに原告をうしろ手にして手錠を掛けようとし、ともどもにその両手を後に捩じ上げたが、これにより原告の右前膊部に長さ約一、五糎、深さ一粍強の切創(治療五日間を要するもの)及び右肩胛関節部に軽度の捻挫症を負わせたことを発見し、なお、「それだけは勘忍して下さい」という原告の妻の懇請があつたため、うしろ手に手錠を掛けるのは取り止め、被告西沢に命じて原告の左手に手錠を掛け替えさせた。

被告中野、同西沢は、原告を原告宅から前記砂子坂巡査部長派出所迄手錠を掛けたまゝ連行した。(この点は当事者間に争がない。)その途中、島山梨子部落を通行する間(通行した道路は巾七尺余りのもので、その右側-原告等の進行した方面に向い-に訴外片川繁外十二軒の家屋があり、その左側に訴外片川正の家屋がある)、被告中野はわざわざ「ござを着ていては泥棒の姿がよく見えぬ」と言つて、原告の着ていたござを取り、「顔がよく見えるように」と言つて、原告の被つていた笠の後の方を引き下げ、亦近隣に聞えよがしの大声で「このざまを見て貰え」「泥棒、泥棒、垣内の麦を盗んだ泥棒、畠にいる者も野にいる者も皆聞いてくれ」と叫んだ。なお原告は、原告宅から砂子坂巡査部長派出所迄連行される間、その姿を数人の者に目撃された。

そして原告は、被告中野、同西沢の右各行為により、精神的肉体的苦痛を蒙つた。

かように認めることができ、成立に争のない甲第四号証の一、二、甲第七号証の四、丙第三、第四号証の各一、二、原告本人及び被告本人中野、同西沢の各供述中右認定に反する部分は措信できず、成立に争のない乙第二号証の二、証人川内淑、南武之亟、神野栄一の各証言も右認定を左右するに足りない。

右認定事実によると、被告中野は、大安寺村島山梨子地籍河原四字四番地の田の前の農道から原告宅に至る迄の間、原告宅及び原告宅から砂子坂巡査部長派出所に至るために島山梨子部落を通行する間において原告にたいし侮辱的言動を加え、被告中野、同西沢は、右農道上及び原告宅において原告にたいし暴行を加え、又原告宅における暴行によつて傷害を与え、原告宅で原告を逮捕して右派出所に連行して原告の自由を拘束し、原告宅より右派出所に原告を連行する間、手錠を掛けられた原告の姿を通行人数名をして目撃させるに至つたこと、被告中野、同西沢の右各行為は、右被告等が原告にたいする窃盗被疑事件に関し捜査を行うにつき為されたものであること、右被告両名の各行為により原告が精神的、肉体的苦痛を受けたことがそれぞれ明らかである。そして、刑事事件の捜査を行うにあたつて被疑者に侮辱的言動を加えたり、又暴行を加えたりすることの許されないことは、憲法、刑事訴訟法等の規定を俟つまでもなく当然のことであるから、被告中野、同西沢の前記原告にたいする暴行、侮辱的言動の違法であることは多言を要しない。そこで、被告中野、同西沢の前記原告にたいする逮捕行為が違法であるかどうかについて考える。原告は右逮捕は右被告両名の職権濫用による不法逮捕であると主張するが、右被告両名において原告を逮捕するに至つた経緯は前記認定の通りであるから、原告の右主張は採用できない。しかしながら右経緯(特に原告にたいする窃盗事件の内容及び原告より麦七束の提出あつたこと)及び前記当事者間に争のない原告の経歴、年齢、証人正井博道、片川繁の証言により認められる原告が居住部落内では一、二といわれる資産を持つていること等を考え合せると、原告が被疑事実を頑強に否認していても右被告両名が原告を逮捕するにつき急速を要し裁判官の逮捕状を求めることができない事情にあつたことは到底認められない。そして本件のような場合が、右の所謂緊急逮捕のできる場合に当らないということは、右被告両名が原告にたいする窃盗被疑事件につき原告を逮捕する前、原告、訴外垣内等の関係者を取り調べて居り、又右被告両名とも原告の居住地を管轄区域とする派出所に勤務していた警察官であつたという前記認定の事実から考えて、当然右被告両名において認識できたことであり、且つ刑事事件の捜査に従事する警察官としては当然認識すべきことである。ところが前記認定のように、右被告両名は、被疑事実を否認する原告の態度から、原告を急速に逮捕する必要があると軽信し、予め裁判官の逮捕状を求めないで原告を逮捕したのであるから、右逮捕(原告宅で原告の自由を拘束してから、手錠をかけたこと、原告を砂子坂巡査部長派出所まで連行したこと等一連の行為を含む。)は被告中野、同西沢の過失による違法な行為といわなければならない。

原告はなお、原告が窃盗事件によつて逮捕された事が福井放送株式会社の「ラヂオ福井」で放送され、昭和二七年七月八日付福井新聞に掲載されたため、原告は、親戚知人にたいしては勿論一般社会にたいしても著しい不名誉を蒙つたと主張するので、この点について考えてみる。成立に争のない甲第一三号証、証人田中タケノ、田中清俊の各証言を綜合すると、昭和二七年七月八日付福井新聞紙上に、「二警官が老人に暴行、手錠をかけ泥棒扱い、脱臼、裂傷受け遂に告訴」という題下に前記認定の昭和二七年六月三〇日原告が被告中野、同西沢より暴行、侮辱を受け、窃盗被疑者として逮捕せられた事実とほゞ同趣旨の事実、原告が右被告両名の行為は特別公務員暴行、陵虐罪に該るとして右被告両名を告訴したこと、及び関係者として原告、右被告両名及び部落会長片川の各談話が記事として掲載されたことを認めることができる。しかし、その頃、福井放送株式会社の「ラヂオ福井」で右記事と同趣旨の放送がなされたことは、証人田中タケノの証言を以てしてもこれを認めるに充分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠がない。従つて、この点についての原告の主張は採用しない。

右認定事実によると、右新聞により、原告において窃盗事件の被疑者として逮捕されたことが、一般に報道されたことが明白である。被疑者がすなわち真犯人でないことは勿論であるが、被疑者として逮捕されたことが報道されることにより、被逮捕者が不名誉を蒙ることは、わが国の実情から考えて、常識上当然であるから、被逮捕者たる原告が、右報道により不名誉を蒙つたことは明らかである。これにより、原告が精神的苦痛を受けたことは、証人田中清俊、田中タケノの各証言により充分に推認することができる。そして福井県坂井郡大安寺村のようなところで、原告のようなものが窃盗被疑者として逮捕されたときは、それが福井新聞のような地方新聞で報道されることは通常のことであるから、右精神的苦痛たる損害は、前認定の過失による逮捕によつて生じたというべきである。

以上の理由で、被告国は、国家賠償法の規定により、原告にたいし被告中野、同西沢の違法な各行為により原告が蒙つた精神的肉体的苦痛にたいする慰藉料を支払うべき義務がある。

そこで、前記原告の蒙つた精神的肉体的苦痛にたいする慰藉料の額について考慮するのに、原告の経歴、社会的地位、並びに原告にたいする不法行為の程度及び態様、原告の蒙つた苦痛の程度等を勘案して金八万円を以て相当とする。

以上の次第で、原告の被告国にたいする請求は、金八万円及びこれにたいする昭和二八年四月一八日から右完済に至る迄の民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきであるが、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

三、よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 長尾信 布谷憲治 海老塚和衛)

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